8.ヒヴァの観光の後、夜タシュケントへ向けて出発(7日目)

2016年07月|12日間の休暇がもらえたのでウズベキスタンに一人旅
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ヒヴァの街は1泊だけして、この日の夜19時にピックアップを受けウルゲンチの空港から国内線で首都タシュケントに戻ります。前日に発症した下痢のせいで精力的には動けませんが、なんとかかんとか観光を続けます。昨日のうちに街の様子は大体見ておいたので、今日は施設内に入場しての見学が主になります。施設内ならトイレも整備されているだろうし、いざとなったらホテルも近いのでまあ安心です。

7日目ヒヴァ イチャン・カラ観光(午前)

ホテルの朝食

朝食はホテルの中庭(パティオ)にしつらえた朝食会場でいただきます。この旅の期間はずっとそうでしたが、朝食の内容は結構質素です。

ホテル・アルカンチのパティオ。改装したばかりとあって綺麗でした。

内容は質素だけれど、下痢中なのでちょうどよいくらい。

イチャン・カラ(ヒヴァ)の街(午前)

サマルカンドの街は一言でいうなら「青色」、ブハラは「土色」という印象でしたが、ヒヴァのイチャン・カラはそれらのどちらでもない浮世離れした感じがします。前2つはそれぞれ人の営みがある街(ブハラはひっそりとしていましたが)でしたが、ここイチャン・カラの域内は「博物館都市」というだけあって、あまり人の生活感が感じられません。なので逆にSF映画(スターウォーズとか)のセットのような感じすら受けてしまうのかもしれません。今日1日かけて映画のセットを歩き回るつもりでホテルを出発します。

タシュ・ダルヴァザ門(南門)。ここから一旦城壁の外に出て、東門まで歩いてみる。

いきなり殺風景な風景になる。

パルヴァン・ダルヴァザ門(東門)の外側。

タシュ・ハウリ宮殿の内部。彫刻が刻まれた柱で天井が支えられている。

ハーンの寝室の明り取りの窓。

ジュマ・モスクの内部。屋外の暴力的な日差しを遮り、パティオに差し込む明かりが心地よい空間になっている。

ジュマ・モスクのパティオ。

柱の彫刻のディテール。

博物館に展示してあった器。こんな感じの器を買いたいと思っていたのだけれど、結局見つからず。

ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ。現在はホテルとして活用されているようです。

西門の外にある結構有名なシルクロードの地図。東の端に日本を入れてくれているのはうれしい。

日本の起点がOSAKAになっているのは大阪人として喜んでいいのかどうか。そこは「NARA」と書くべきだと思います。奈良県人は抗議してもよいです。

お腹の調子を顧みずアイスを食べたくなるくらい暑い。

 

7日目ヒヴァ イチャン・カラ観光(午後)

昼食のチャイハナで猫と戯れる

街の中心付近にある「ファルーフ」というチャイハナで休憩を兼ねて昼食を食べます。プロフ(ピラフ)を食べようと思いましたが、残念ながら売り切れだったので、マントゥとお茶にしました。建物の中庭にある気持ちのいいチャイハナでした。ここに限らずチャイハナでは猫をよく見かけます。店の人も特に追い出す風でなく、ある程度大切にされているようです。イスラームでは猫を大切にしますが、逆に犬は不浄の動物とされ、ほぼ見かけることがありません。

ファルーフの店内。テント(ユルタ)が設置されていたり、よしず?の日よけがあったりして快適な空間です。

お茶とマントゥ。あまり食欲なし。

膝に乗ってきて私のマントゥを狙う猫。

分け前をもらえずにすねる。

このあと夕食の店でも同じ猫に遭遇。イスラームでは猫が大切にされています。この猫はこの他いろんなところで遭遇。

城壁の上に上がってみる

北門のそばで城壁の上へあがれそうなスロープを見つけました。上に上がっている人はいないし(そもそも観光客がほとんどいないのだが、、、)、上がっていいのかどうかわからなかったのですが、好奇心の方が勝って上がってみることにしました。

こんなスロープで上に上がれるようになっている。上がっていいのかどうかは不明。登り口にロープがかかっていたような気もする。

こんな感じで外側に向かっては壁があって眺めがよいわけではない。

壁の狭間から外側をのぞいてみる。

城壁の上の通路?は西門の付近、昨日来たキョフナ・アルクまで続いていたのですが、キョフナ・アルクの内部に入ることはできず、結局もと来た道を引き返します。

もと来た道を引き返す。地面まで6~7メートルくらいなので、ずるずると降りることはできたかもしれないけど、下痢なので無理はできない。

引き続きイチャン・カラ観光

このころから下痢がひどくなってきました。観光に出かけてはトイレを探したり、ホテルに戻ったりの繰り返しです。今朝ヒヴァを出発する夜までレイトチェックアウトをお願いしようと考えていたのですが、「今日は客が少ないので、夜の出発まで部屋を使っていていいよ」と言ってくれたので、とてもありがたかったです。しかし部屋のトイレットペーパーを使い果たし、無料で部屋を使わせてもらっているのに新しいのをもらっていいものかどうか、悩みました。

ここからはどこをどう見て回ったのか記憶が定かではありませんので、写真だけを掲載しておきます。

おそらくキョフナ・アルクの内部。昨日すでに見学していて、チケットに印がついていたけどシレっと入場したような記憶。

アイヴァンの装飾。

デフコン・バザール。

羊肉の解体中のようです。子供たちが食い入るように見つめています。

いわゆるキムチです。ウズベキスタンに住む朝鮮族が作っているらしいです。内陸国なので海産物は使用せず、野菜だけのキムチだとのこと。

焼き菓子のお店に似つかわしくないヒゲオヤジ。

先ほどの肉屋を通りかかったら、肉が半分くらいになっていた。暑い中でも羊肉は大抵こうやってつるして販売されている。豚だとすぐに傷むけど羊は大丈夫らしい。なのでアラブで発展したイスラーム文化では豚を禁忌すると聞いたことがあります。

この日はこれ以降ぷっつりと写真が残っていません。たぶんもう体が駄目だったのでしょう。暑いので水は摂取しないと体がもたないのですが、水を飲んだだけでトイレに行きたくなる始末なので、うかつに歩き回れなかった記憶があります。そういえば、ヘロヘロになってホテルに戻ってきた時(当然トイレに行きたかった)に、日本人の一人旅らしい人に「こんにちは」と声をかけられたものの、あいさつもそこそこにトイレに駆け込んだことが思い出されました。あの時の人、すいませんでした。こういう事情だったのです。

事前にウズベキスタンの情報を集めていた時に、かなりの頻度で「下痢」のことがセットで記載されていました。なんでも、この地で使用される「油」は日本ではあまり使用されない綿実油だということで、日本人は大抵それに反応して下痢を起こすとの情報がありました。その時はお腹に自信があったので「フーン」と思っていましたが、念のためにと「ストッパ下痢止め」をもっていっててよかったと思います。この日から以降、結構この薬のお世話になりました。

この後、19時に現地のドライバーにピックアップしてもらい、ウルゲンチの空港からタシュケントまで飛行機で戻ります。ウルゲンチ発の国内線は、途中ブハラかどこかの空港に一旦着陸する経由便だったのですが、その際は飛行機から降ろしてもらえず、タシュケントへの到着までずっとトイレの心配をしながら乗っていました。

ウズベキスタン航空の国内線のチケット半券。ウズベク語はトルコ語に近い気がする。

タシュケントの空港に着いたのは深夜1時前ですが、最初にお世話になったベラルーシ人のダンディなドライバーが迎えに来てくれていました。「すごく日に焼けたね」とか「やっぱりお腹を壊したか」とかいろいろ気を遣って話しかけてくれます。思えばウズベキスタン到着から後、観光自体は一人で見て回っていたものの、トランスポーテーションはすべて予定が組まれていて、それぞれの土地のそれぞれのドライバーが目的地まで運んでくれました。昔シルクロードを運ばれる荷物もこんな感じで運ばれていったのではないかと思いつつ、初日に宿泊したホテルウズベキスタンまで送ってもらったのでした。

夜食に妙に肉々しいパンとサクランボのジュース。

 

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