5日目午前(ブハラ)
朝食
ブハラでのホテルでも、朝食は個別(インディヴィジュアル)に用意されました。品数は多いのですが、やはり炭水化物が多い。ヨーロッパのホテルだったらこんな感じでも容認できるのですが、アジアならもっとモリモリの朝食を期待したいところです。麺料理とかあったらよかったのに。でも出されたものは一応すべていただきます。果物は散策中に食べようと一部お持ち帰りさせていただきました。
マゴキ・アッタリ・モスク(Magoki Attor Mosque)
朝食後さっそく散策に出かけます。ブハラに滞在できるのは今日一日だけ。明日朝には次の街のヒヴァに向けて出発しなければならないのです。
まずはホテルから一番近い「マゴキ アッタリ モスク」です。1936年に考古学者によって掘り出されるまで土の中で眠っていたという建物で、この地では古くは仏教寺院やゾロアスター教寺院があったとのこと。現在内部は絨毯の博物館になっています。
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ(Nadir Divan-Begi Madrasah)
ここ「ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ(Nodir Devon Begi Madrasasi)」はかつて神学校だったようですが、現在内部では職人さんたちが土産物を作っていたりします。まだ朝が早いせいで職人さんたちも仕事の準備中のようだったので、早々に退散しました。
ラビハウズのほとりで少年が店番をしているMOPC(モルス)の屋台が出ていました。モルスとは、ロシアの伝統的なドリンクで、こういった小さい屋台や軽油販売くらいの大きさのタンクローリーで販売しているのは知っていましたが、最初のタシュケントのドライバーから「外国人は腹を壊すから絶対に飲むな」との忠告(警告)を受けていたにも関わらず、東南アジアでも腹を壊すことがない自信から飲んでみました。味は薄甘いベリー風味で適度に冷えていておいしかったです。この結末は翌日わかります。
チョル・ミナル(Chor Minor)
チョル・ミナル(チャハル・ミナール Chor-Minor)は狭い路地をGoogleマップに誘導されながら進んだ先にあります。チョルミナルとは4つの塔(ミナレット)という意味らしいですが、日本語の語感ではかわいらしい響きがします。建物は語感の通りのコンパクトさで、目線を下にして歩いていたら見落としてしまいそうです。
チョル・ミナルの前で腰かけて休憩をしていたら、役場の職員だという青年が声をかけてきてくれました。このあたりの景観や修復についての仕事をしているとのこと。少し話をしてた後、次に行こうと思っていた「ウルグベク・メドレセ」まで道案内をしてくれるなど親切にしてくれました。このあたりは街の人々の居住区のようで、住宅や小さな工場などがあって普通に生活が営まれています。水道管らしきパイプが壁伝いに設置されているのが気になっていたので、「なぜ水道管を地面に埋めないのか?」と聞いてみたところ、地面の下にはいろんな遺跡があって、簡単に掘削することができないのだとか。私が住んでいる関西地方も同じなので、歴史の深さに妙に納得してしまいました。
アブドゥールアジス・ハン・メドレセ(Abdulaziz Khan Madrassah)
アブドゥールアジス・ハン・メドレセ(Abdulaziz Khan)はウルグベク・メドレセの向かいにあるメドレセ(神学校)で、ウルグベク・メドレセよりも装飾は華やか。なぜかこの前に見たウルグベク・メドレセの写真が1枚も残っていなかったので、比較ができませんが、私の記憶でも、ガイドブックの記述でもそうでした。内部はどの遺跡も同じですがお土産物屋さんですが、珍しく西洋人の男女が店をやっていたので覗いてみました。英語が流暢なのでどうやらロシア系ではなさそうですが、なぜこんなところで店をやっているのかは不明。へたくそな絵柄のマグネット(「僕が描いたんだ」男性の方がと言っていた)と、ガーゼで作ったような質の悪いシャツ(「私が縫ったの」と女性の方が言ってた)を購入しました。
タキ・ザルガロンのあたりで怪しいおっさんに昼飯に誘われる
お昼近くになり、次にどうしようかと考えながらタキ・ザルガロン(Taqi-Zargaron)の付近の木陰で休憩していた時、怪しいおっさん(悪い人ではなさそう)から声をかけられました。その人が言うには「私の妻が食事を用意するので、食べに来ないか?XXXXスム(4ドルくらいだったと思う)でいい。」とのこと。まあこの辺によさげなレストランもなさそうだし誘いに乗ってみるかと了承し、12時半に再びこの場所で待ち合わせすることを約束して一旦別れました。
少女の誘いに乗ってスザニを購入
昨日このあたりをうろついていた時に、スザニ(刺繍製品)の店の店番をしていた中学生くらいの少女に突然「ねぇ日本人?」と日本語で声をかけられびっくりしていたら、案の定スザニの売り込みでした。しばらく日本語と英語のミックスで話をしていましたが、「また明日来るよ」と昨日は退散したのですが、また今日つかまってしまいました。「今日は買ってくれるんでしょ?」(英語だったか日本語だったか忘れた)と迫ってくるので、仕方なく何点か購入。私が持っていた日本語ガイドブック(地球の歩き方)を取り上げ、「ここに写っているのが私のお姉さん。スザニを作っている。」と言っていたので、おそらく怪しい店ではないのでしょう。
おっさんの家に昼飯を食べに行く
スザニを購入して、約束の時間になったので再びタキ・ザルガロン前の広場に行くと、ちゃんとおっさんは待っていました。「今日は妻がプロフ(炊き込みご飯)を炊いたので、昼ご飯はプロフだ。」とか言っていました。先ほど私はラグメンが食べたいとリクエストしたはずだが、、、と思いましたが、まあプロフもいいかと思いついていくと、細い路地をくねくねと曲がった先にその家はありました。レストランらしき表示は一切ありませんし、自力では確実にたどり着けないし帰るのも困難そうな場所ですが、不思議と不安感はありません。家に上げてもらってお茶と果物でもてなされます。おっさんの英語はそこそこ達者なのですが、共通の話題もなくしばらく適当な話をしていました。こういう時は大体どこの国でもお天気の話になるようで、昨日は気温が45℃まで上がったなんて話をしていた時、おっさんが私がさっき買ったスザニを見てちょっとがっかりしたような顔をしました。
「実は娘がスザニを作っていて、それを買ってもらおうと思ったのだけどもう買ってしまったんだね。残念だ。」と言っていて、あーそういうことだったんだと得心しました。店はまだ持てないけど、タキからは家が近いので、食事に人を誘って勧誘するという商売だったようです。私の買ったスザニを「見ていいか?」と断りを入れてから丹念に見て「いい品物だ」と言ってくれました。ガイドブックに載っていた先ほどの店の女の子のお姉さんの写真を見せて、「この人が作ったらしい」という話をしたら、知っているのかどうか不明な微妙な顔をしていました。プロフは家庭的なお味で、ニンジンが得意ではない私にはちょっとつらいくらいたっぷりのニンジンでした。ナンも出てきたので、プロフは主食というよりやはり副菜のような感じのようです。
5日目午後(引き続きブハラ)
イスマイール・サーマーニ廟
昼食後おっさんと別れて、カラーン・モスクとミナレットは後で見ることにして通過し、最古のイスラム建築と言われているイスマイール・サーマーニ廟(Ismail Samanid Mausoleum)へやってきました。ここは都市公園の中にある遺跡ですが、周囲の公園は遺跡とは関係なく、旧共産圏にありがちな市民遊園地の様相で小さな観覧車なんかもあります。一人なので乗りませんでしたが。
このイスマイール・サーマーニ廟は800年代終わりから900年代にかけて建築されたイスラーム初期の建築とのことで、モンゴル帝国が襲来した時にはほとんど土に埋もれていたために破壊されるのを免れたらしい貴重な建築だとのことです。煉瓦の組み合わせで作られた装飾模様は非常に美しいものです。
チャシュマ・アイユブ(Chashma-Ayub Mausoleum)
アイユブとは旧約聖書に出てくるヨブのことで、そのヨブが見つけた泉(チャシュマ)ということで、この名「チャシュマ・アイユブ(Chasma Ayub Mausoleum)」がついているそうです。旧約聖書の時代にシナイ半島からここまできたのでしょうか。残念なことに写真はあまり残っていません。泉の水はちょっとなめてみましたが、結構しょっぱかったです。
ボラハウズ・モスク(Bolo Hauz Mosque)
ハウス(池)のほとりに建てられたモスクなので、「ボラハウズ(Moschea Bolo-khauz)」。屋根を支えるための木造の柱が特徴的です。ガイドブックには女性の見学不可、と書かれていますが、女性客もいたような気が、、、、。
アルク城(Ark)
期待していたアルク城(Ark)です。ブハラハーンの居城ということで、入り口で入場料を払ってワクワクしながら入場しますが、思っていたほど内部は広くなくちょっとがっかりです。内部にはちょっとした展示がありますが、基本的にはがらんどうで肩透かしな感じです。
いくつかの小部屋を見て回っても面白いものは何もなく、なんだか割り切れない思いで内部を行ったり来たりしていたら、人相の悪いオヤジが「城壁の上に行って見ないか?5ドルだ。」と声をかけてきます。ディスカウントを要求したものの一向に値下げに応じないので、仕方なく5ドル札を手渡すと、西側のはずれのトイレの裏手に連れていかれ、踏み台を出してきて「ここから登れ」とのこと。あがってみるとそこは広大な土の廃墟のようなところが広がっていました。なるほど城壁の中は土盛してあって高台になっているのね、と納得しました。オフィシャルな見学ではないので他には誰もいません。案内してくれたオヤジは、犬の世話をしにくからとどこかに姿を消しました。アルク城の(正規の)見学範囲は城壁の内部のごく一部だということです。
たまたましつこくウロウロしていたからオヤジが声をかけてくれたのか、それともオヤジの気まぐれの小遣い稼ぎだったのかはわかりませんが、たしかに整備されていなくて手すりなんかもないので危険であることは確かですし、周囲に人がいないのでそういう意味でも危険かもしれませんが、5ドルでよい体験をさせてもらえたと思います。
カラーン・モスクとカラーン・ミナレット(Kalan Mosque)
アルク城の景色に満足した後、カラーン・モスク(Poi Kalyan Mosque)まで戻ってきました。非常に大きなモスクで1万人が礼拝することができる規模らしいですが、人がいなくて寂しい感じがします。ガイドブックによるとソ連時代は倉庫に使われていたとか。
見学の予定は終了
ブハラで予定をしていたところは一通り見て回りました。夕方まではまだ少し時間があるので、ゆっくりと歩いてホテルの方面へ戻ります。ブハラでは共通の入場チケットのようなものがなく、都度お支払する仕組みなので、もう一度見たいと思っても入場料のことを考えると躊躇します(それほど高くはないので払えばいいのですが)。この後行くヒヴァでは共通チケットがあったので、ブハラもこの辺は改善してほしいところです。
そろそろ晩御飯を食べるところを探そうと、ラビハウズの周囲を探しますが、時間がやや早いせいでどこがよいかよくわかりません。しばらくウロウロしてると「あ、日本人!地球の歩き方持ってる!」との叫び声(もちろん日本語)がします。振り返ると日本人カップルがこっちをみていますが、そんなに日本人が珍しいのでしょうか。まあ私もここまで日本人ポイ人には一人も合わなかったので珍しいのは確かでしょうが、そんな大声で叫ばなくても、、、。面倒そうなので軽く会釈して無視しましたが、一人だと夕飯を食べるところを選択するのには苦労するので、夕飯にでも誘えばよかったと後で後悔しました。
結局、適当な店(結構高級店でした)でいつものラグメンとシャシリークを頼んで、ワインなどもあけたりしてみました。明日は朝から車で7時間の移動だし、まあ贅沢してもよいか、、、という気分です。どこの店だったのかはよく覚えていません。というか、結構酔っぱらったことは覚えています。
昨日、今日といろんな人に声をかけられて、のこのこついて行ったら結構楽しい思いをしました。きっちりとプランを立てて見学するのは効率もよいし、見逃してしまうものも少ないのでよいのでしょうけど、こういう行き当たりばったりも、後で思い返すとそれはそれで良いものです、
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